トップページ パワースポット スピリチュアルスポット 怖い話・怪談 噂・都市伝説 お知らせ一覧 福岡大学ワンゲル部事件の情報 福岡大学ワンゲル部事件 北海道は熊の生息地とあって、熊と人間との不幸な事件がいくつか起こっています。今から約45年前の1970年、福岡大学ワンダーフォーゲル部の若い学生3人が、ヒグマに襲われ亡くなるという痛ましい事件がありました。 日高山系、標高1979mのカムイエクウチカウシ山を縦走していたワンゲル部一行の5人は、山頂を目指して峰下で野営をします。 ここで一度ヒグマと遭遇しますが、彼らは物珍しさもあって最初写真を撮るなどしていました。 しかしクマがザックをあさり食糧を食べ始めたので、火を灯しラジオの音量を上げたり食器を鳴らしたりして追い払います。 その晩疲れて眠っていた一行は、クマの鼻息で目を覚ますという絶体絶命の状況になりますが、ここでも何とか追い払い、交代で見張りをすることで一夜を明かしました。 早朝、3度目のクマの来襲を受け、リーダーはパーティのうち2人を下山させハンター出動要請をするよう頼みます。 2人は下山途中出会ったパーティに要請を依頼し、再び3人と合流します。 5人が稜線上にテントを設営した夕方、4度目の襲撃に遭いついにAが背後から襲われてしまいます。 もう1人のBも行方不明であったため、残る3人は岩場に留まりました。 翌朝2人を探しますが、途中で断念し下山を始めます。しかしその矢先に昨晩のクマが出現。 Cを襲い、その隙に残る2人は命からがら脱出し、下山します。 翌日、生き残った2人が救助隊とともに山へ入ると、そこにはA・B・C3人の無惨な遺体がありました。 顔が半分失われていたり、腸が腹から引きずり出されていたりとその状態は凄惨を極めていたそうです。 実はクマとの事故のうち、登山者の死亡例はごく少ないのだそうです。何故彼らはこのような事故に遭ってしまったのでしょうか。 「音や火でクマを興奮させた」 「ザックを取り返した事で“餌を奪った敵”と認定された」 「集団で行動せず、散り散りになった」 「クマに背を見せて逃げた」 パニック状態とはいえ、クマの生態を知らなかった若者のいくつかの行動が不幸にもクマを刺激してしまったのです。 また、はるばる福岡から費用と日程をかけ北海道へ来た事も下山を躊躇させた遠因となったようです。 カムイエクウチカウシとはアイヌ語で「ヒグマの転げ落ちる所」の意味です。 ヒグマですら転げ落ちる急峻な斜面を持つこの山を、遠方から来た若者達はなんとしても制覇してから帰ろう、と焦り、判断を誤ってしまったのでしょうか。 この事件は当時の新聞の一面を飾るほどの大事件となり、大正時代の三家別の羆事件と並ぶ獣害事件として語り継がれています。 現場の八の沢カールには、追悼のプレートがはめ込まれています。 「高山に眠れる御霊安かれと挽歌も悲し八の沢」 福岡大学ワンゲル部事件の詳細 エリア検索 エリア: 全体 札幌エリア 函館エリア 道南エリア 道央エリア 道東エリア 道北エリア ジャンル: 全て パワースポット スピリチアルスポット 怖い話・怪談 噂・都市伝説 コメント 格安北海道旅行
福岡大学ワンゲル部事件
北海道は熊の生息地とあって、熊と人間との不幸な事件がいくつか起こっています。今から約45年前の1970年、福岡大学ワンダーフォーゲル部の若い学生3人が、ヒグマに襲われ亡くなるという痛ましい事件がありました。
日高山系、標高1979mのカムイエクウチカウシ山を縦走していたワンゲル部一行の5人は、山頂を目指して峰下で野営をします。
ここで一度ヒグマと遭遇しますが、彼らは物珍しさもあって最初写真を撮るなどしていました。
しかしクマがザックをあさり食糧を食べ始めたので、火を灯しラジオの音量を上げたり食器を鳴らしたりして追い払います。
その晩疲れて眠っていた一行は、クマの鼻息で目を覚ますという絶体絶命の状況になりますが、ここでも何とか追い払い、交代で見張りをすることで一夜を明かしました。
早朝、3度目のクマの来襲を受け、リーダーはパーティのうち2人を下山させハンター出動要請をするよう頼みます。
2人は下山途中出会ったパーティに要請を依頼し、再び3人と合流します。
5人が稜線上にテントを設営した夕方、4度目の襲撃に遭いついにAが背後から襲われてしまいます。
もう1人のBも行方不明であったため、残る3人は岩場に留まりました。
翌朝2人を探しますが、途中で断念し下山を始めます。しかしその矢先に昨晩のクマが出現。
Cを襲い、その隙に残る2人は命からがら脱出し、下山します。
翌日、生き残った2人が救助隊とともに山へ入ると、そこにはA・B・C3人の無惨な遺体がありました。
顔が半分失われていたり、腸が腹から引きずり出されていたりとその状態は凄惨を極めていたそうです。
実はクマとの事故のうち、登山者の死亡例はごく少ないのだそうです。何故彼らはこのような事故に遭ってしまったのでしょうか。
「音や火でクマを興奮させた」
「ザックを取り返した事で“餌を奪った敵”と認定された」
「集団で行動せず、散り散りになった」
「クマに背を見せて逃げた」
パニック状態とはいえ、クマの生態を知らなかった若者のいくつかの行動が不幸にもクマを刺激してしまったのです。
また、はるばる福岡から費用と日程をかけ北海道へ来た事も下山を躊躇させた遠因となったようです。
カムイエクウチカウシとはアイヌ語で「ヒグマの転げ落ちる所」の意味です。
ヒグマですら転げ落ちる急峻な斜面を持つこの山を、遠方から来た若者達はなんとしても制覇してから帰ろう、と焦り、判断を誤ってしまったのでしょうか。
この事件は当時の新聞の一面を飾るほどの大事件となり、大正時代の三家別の羆事件と並ぶ獣害事件として語り継がれています。
現場の八の沢カールには、追悼のプレートがはめ込まれています。
「高山に眠れる御霊安かれと挽歌も悲し八の沢」